2008年12月2日火曜日

みーこショック




昨日、今日とみーこショックが続いています!
昨日はちょっと悲しいショック、今日はうれしいショックです。

昨日いつもより遅い時間に出現したみーこは、なんといつもと違う首輪をつけておりました!!
今までは、ちょっと古そうな赤い皮の首輪だったのに、新しい青い鈴付きの首輪になってました。
やっぱり他のうちの飼い猫だったのか・・・。そんな寂しい気分を味わいつつ眠りにつきました。
(それでも、餌はちゃんとあげている。)

今日は少し早い時間に登場。いつものようにちょっと部屋の隅っこにあげて餌を食べさせてから
先っぽにポンポンのついたおもちゃで撫でてあげてたら、いつの間にかmekabunattouさんは
手でじかに撫でていました!!驚き!
そして、みーこは気持ちよさそうに喉を鳴らしてリラックスしてました。
かわいい~

首輪が変わってちょっと遠い存在になったかと思いきや、距離が近づいたり複雑な感じですね。。
でもmekabunattouさんは嬉しそうでした。

2008年11月24日月曜日

湯坂路を行く











 
 トレッキング第2弾は箱根,湯坂路に行きました。湯坂路とは「江戸時代の「旧東海道」開通以前に歩かれた箱根越えの古道。“伊勢物語”の在原業平、“十六夜日記”の阿仏尼、鎌倉幕府の将軍たちも歩いた道」だそうで,要するに鎌倉時代の古道である。朝九時に箱根湯本に到着。そこから3時間かけて芦の湯の「きのくにや」という老舗旅館まで行き,そこの硫黄の臭いぷんぷんの温泉で日帰り湯しました。

 mekabunattouの写真は登る前にコンビニでパンを買って腹ごしらえをする図。masayoさんの写真は途中の「浅間山」山頂で,汗だくのはずなのに涼しい顔でお茶とおやつをする図です。あっさり顔は得だ!

 箱根は紅葉シーズン真っ盛り。かつ三連休の最終日ですごい人出!行きはだーれもいない道を歩けたのに,帰りは都心並みの満員電車で箱根湯本にたどり着きました。これだから観光地にはあんまり行きたくないです・・・。

2008年11月1日土曜日

猫バカの図







 
すっかり猫ブログと化してしましました「ほんだけ梅屋敷出張所」ですが,また猫ちゃんの話題です。今日はホームセンターで木の箱とキャットハウス(毛布のような素材でできたふかふかの猫用ハウス)で,ベランダにみーこ用の家をつくりました。最近はすっかり寒くなり,雨の日や冷え込む日などはつらかろうと思ったからです。すんなり入ってくれるようにハウスの奥にまたたびの粉をまいておいたら効果てきめん,すぐさま入ってくれた上に,さっそくスプレーもかましました(写真にスプレーの跡が写っています)。
 食事のあとは,たまに大好物のクリームチーズを箸であげて戯れています。本当にうまそうに食べます。

 ちなみに一番目の写真は朝寝ぼけ眼のみーこです。
 すっかり二人とも猫バカになっております。


2008年10月25日土曜日

弘法山に登る







本日,神奈川県は鶴巻温泉の近くにある弘法山という山に登りました。山といっても標高300メートルぐらいなので,丘に毛が生えたぐらいのものです。ファミリー向けの山といわれていますが,実際比較的楽に7kmの道のりを制覇できました。二人とも最近トレッキングシューズを購入しましたが,スニーカーと違ってずいぶん歩きやすいです。昨日は雨で足元はやや緩めでしたが,あまり気になりませんでした。到着地の鶴巻温泉でひと風呂浴び,すがすがしい気持で東京に帰りました。デスクワークで普段机にかじりついてばかりなので,できれば月に一回はハイキング,トレッキングに行きたいものです。

みーちゃん近況
















みーちゃんは大分慣れてきました。時々変な表情をしたりします。部屋にちょっとだけあげて遊んだりしています。今日,二人で鍋をやったら,においをかぎつけてテーブルの近くまで来たので,豚肉をあげてみました。猫はやはり猫舌で,食いつくまでに悪戦苦闘してました。頑張って食べたはいいものの,舌をやけどしたのか,しきりに水を飲んでいました。

2008年10月5日日曜日

寝子



猫は、ときに「寝子」と書くらしい。

理由はよく寝るから。

うちの(飼い猫の気分)みーちゃんもホントによく寝る。

警戒してるのかと思えば、目の前で眠りだします。。。

食事のあとクラシックを聴きながら、気持ちよさそうにねてる今日のみーちゃんでした。

癒される・・・(^^)

2008年10月1日水曜日

みーちゃん不在




今日は帰りが遅かったせいか、雨のせいかみーちゃんは来ませんでした。

毎日きていただけに、ちょっと寂しいですね・・・

明日はくるかな??

一昨日の写真をいくつか公開。

2008年9月28日日曜日

夜のお客さん


大森中のマンションに引っ越ししてから、夜になると来客があります。
どこからともなく現れる猫ちゃん(ノラ?でも首輪をしている)です。
勝手に「みーちゃん」とか呼んでますが、猫の方はクールに交わします。

Mekabunattouさんは、動物好きのためか、餌付けに夢中です。
私も最初は警戒してましたが、猫ちゃんの行動に一喜一憂してます。
最初の方よりは慣れてきて、声をかけたりすると、両目を細めたりしてかわいいものです。
まっ、でも毎日来ては餌を頂戴しててお調子ものですな。
今日は雨が降ってるので、ベランダのエアコン室外機の上で雨宿りでしょうか。。。

なんだかんだで、癒されているほんだけです。

2008年9月22日月曜日

ローマに三越

 今日は久々の出張。電車に揺られて見慣れた消費者金融の広告やだるそうな人々の顔を見ていると,カナダでの10日間が幻のように思えてくる。

 さて,会社に行ってみると海外出張から帰ってきている同僚も多かった。ローマに行ってきたTさん(女性)は「ローマはやっぱりとてもいい雰囲気でした」と言う。「ローマでは英語は通じた?」と訊くと「いやそれが殆ど通じないんですよ。学会場は英語で大丈夫だったんですけれどね。むしろ日本語のほうが通じましたよ。ローマ三越に行ったら,「いらっしゃいませ」と声をかけられて」と言う。ローマ三越?ローマに三越があるの?「ハイ,ありますよ」とのこと。三越のホームページを見ると,ローマ以外にもロンドンやマドリッドなどにあるようだ。しかし,わざわざ海外に来ているのに三越で買い物はしたくないものである。お客さんは日本人ばかりなのだろうか,それとも現地の人も来るのだろうか。

 「ところでmekabunattouさん,向こう(カナダのこと)でストパー(ストレートパーマ)かけてきたんですか?」と何だか妙なことを訊かれた。何故?と言うと「なんだかそんな風に見えるから」。するとデスクのSさんが「外国は日本と水質が違うから,髪にも影響があるんだよね」と言う。「外国人で金髪の人でも,日本で生活していると髪の色が濃くなるらしい」。どういうことかと思ってインターネットで調べてみると,日本の水は硬度20~80の軟水であり,髪や肌に優しいらしい。一方欧米に多い硬水で洗うと髪は傷んでしまうらしい。髪の色が落ちるのは,髪が傷むせいなのだろう。

 モントリオールの水の硬度は焼く125。日本に比べて随分と高い。布施明は長いアメリカ生活を経て日本に帰ってきたとき,見事に茶髪になっていたらしい。自分の髪がストパーをかけたようにみえたのも,たぶん硬水の影響だろう。ちなみにふと思ったのだが,欧米の男性で禿の方が多いのも,ひょっとすると水のせいかも知れない。

2008年9月18日木曜日

出国の憂鬱,帰国の憂鬱

 モントリオール滞在も今日で終わりある。最終日は時間にゆとりがあったので,北部のセント・ロワイヤル公園やモントリオールカジノ(見学のみ),F1サーキットなどを訪れ,夜はジャズ・クラブで音楽を楽しんだ。「モントリオールジャズフェスティバル」という世界最大規模のジャズイベントが開催されるだけあって,至るところでジャズライブが行われているのである。大いに気分転換できた。

 しかし,気分転換できた理由は,いろいろなものを見たからというより,むしろ自国とは全く異なる文化圏に来たことそのものにあると思う。具体的な例を挙げると,日本語で考えず,英語でコミュニケーションを取ろうとすること自体が,不安ではある一方新鮮である。外国の人々は実に気さくに話をする。“Hi! How are you?” “Very good! How about you?”などという形式的だけど相手を気遣う挨拶をみんなが交わす。エレベーターに乗り合わせた人同士で交わす。ホテルの廊下ですれちがった人と交わす。人にぶつかりそうになったときは誰もが必ず “Excuse me.” “Sorry”と言う。レストランで食事をしているとウェイターさんが “Food is good?” と3回ぐらい訊いてくる。 “Yes, very nice!”と応える。取材をしていても,みんな笑顔で答えてくれる。日本では考えられないOpen Mindである。自分はこの外国の明るさが好きである。

 またアメリカ・カナダは,いろんな人種が居るせいか,みなそれぞれ自由に行動しているように見える。例えばモントリオールは半袖,短パンの人がいるかと思えば,コートにマフラーという格好の人も居た。日本ではみんな周りの格好に合わせようとするのか,あんまり季節はずれ服装はしないようにするだろう。

 言葉が分からないということは,それはそれで面白いものである。日本語で書かれたものは意味が分かるがゆえに,例えば電車の吊広告などをついつい読んでしまって頭が疲弊したりする。しかし,理解できない外国語は逆に頭を使うことがない。

 外国に行くと,初日はいつも早く日本に帰りたいと憂鬱になる。しかし,一週間外国に滞在すると,その開放感やおおらかさ,そして住みやすさが実に心地良くなってしまい,このまま居たいと思ってしまう。そしてこれからまたカサカサ,セコセコ,ゴミゴミした東京に帰らねばならないと思うと,いつも憂鬱になるのである。

2008年9月11日木曜日

セリーヌ・デュオンと医師不足


今日は取材が無いので,モントリオールの町をぶらぶら歩いてみる。ホテルのすぐ近くに名所,ノートルダム大聖堂がある。これは何で有名か?1つは,セリーヌ・デュオンが結婚式を挙げた場所としてである。

セリーヌ・デュオンはモントリオールの出身である。昨日,空港からホテルまで案内してくれたガイドさんが面白いことを言っていた。セリーヌはアメリカで活動しているが,それはカナダの税金が高いからというのも1つの大きな理由らしい。カナダは北欧と同じく,医療費がタダである代わりに所得税が高いそうで,しかし皮肉にもそれが医師不足を招いているということだ。つまり,腕のいいお医者さんは税金の安いアメリカに行って稼ぐため,カナダは大都市モントリオールでさえ医師が足らない状況になってしまったらしいのである。「僕は以前骨が見えるくらい深く手を切って,救急外来に行ったんですが,4~5時間待たされました。でも軽い怪我だと,12時間ぐらい待たされることもあります」という。2~3時間の待ち時間で大きな問題となっている日本だが,カナダの場合は次元が1つ違う。

 さて,ノートルダム大聖堂,もちろん宗教施設としても大きな特徴を持っている。見た目は歴史を感じさせるが,出来たのは比較的新しく,19世紀後半のことである。12世紀後半から始まる中世ゴシック建築の様式を取り入れて作られたために,古くみえるのだろう。もともとこの地では17世紀からローマカトリック教会により布教されてきたが,この大聖堂を設計したのは,プロテスタントのニューヨークの建築家であるらしい。他の宗派に対しても寛容なのだろうか。セリーヌが自国に税金を落とさなくても(本当かどうか分かりませんが),快く地元の名所で結婚式を挙げられるのは,その寛容さのおかげかも知れない。

2008年9月10日水曜日

モントリオール到着

 今日から,カナダ・モントリオールに出張。エアカナダで成田より出発。先日,会社で英会話の授業を受けたときに,カナダ人の英語の先生から,エアカナダのサービスは最悪だから可能ならキャンセルしたほうが良いと言われた航空会社。「乗務員もね,全然可愛くなくて,おばさんとゲイしか居ないのヨ。ゲイは面白いからいいけど,おばさんは態度悪いばかりでダメ!」と大差別発言バリバリのけちょんけちょんだった。

 実際,成田発トロント行きのスチュワーデスさんは揃いも揃ってその辺の近所に居そうなおばさんだった。初めはいくらか親切にしてくれたが,次第に疲れてくるのだろう,だんだんと無愛想になってくる。「夜食を出しますが,お休みのお客様にはサービスを控えさせていただきます」とか言っていたのに,寝ているときに思いっきりテーブルにサンドイッチを置かれ,目が覚めた。しかも,その後夜食第2段として,こともあろうにカップヌードルが出てきた。さすがに「No,thank you」と断ったら,「あら,人気ナイノネ」みたいなことをつぶやいている。夜中にカップヌードルは重過ぎるのではないだろうか。

 トロントに着き,モントリオールへ行く便に乗り換えたが,ここの乗務員さんは全員男。さすがに確かめようがなかったが,ゲイかもしれないと思ってみていると,なんだかゲイっぽくみえてくる。別に交際するわけではないので構わないのだが。

 約14時間のフライトを経て,やっとモントリオールに到着!夜の九時。後はご飯食べて寝るだけ。

2008年8月9日土曜日

食器洗い乾燥機礼賛


引っ越しを機に食器洗い乾燥機を導入することにした。日々の家事の負担を少しでも減らそうという目論見からである。

 食洗機はまだまだ一般的には普及していないようである。我々夫婦の周囲には実際に使っている人がほとんどいない。

 あまり普及していないものを買うのには少々不安がある。期待するほどに役に立たないのではないか,食洗機で洗った後に,再度手洗いをするハメになるのではないか,などなど。奥方の同僚にビルトインタイプ,つまりシステムキッチンに組み込まれているタイプの食洗機が家にあるという人がいるが,使うことはあまりないらしい。それを聞いた奥方は「便利じゃないのかも」とこぼした。しかし,10年前の製品らしく,実用的な性能を備えていない可能性も大きいし,その人のお母さんが専業主婦で手洗いする時間が存分にある,ということなのかもしれない。

 肯定的な意見を,部屋探しをしているときに物件を案内してくれた不動産屋さんのおばさんから聞いた。「今度住む部屋には食洗機を置きたいんです。使ってらっしゃいます?」「私は使っていないんですけど,友達で買った人は,すごくいいって言ってました。今までは食事をした後にダンナと子供はごろ寝してテレビみているのに,自分だけ洗い物をしなければならず,さびしい思いをしていたが,食洗機を買ってからは,それから解放されて,皆と食後の団欒を楽しむことができるようになったそうですよ。」 これは少なくとも10年前の製品よりは新しい製品を買った人の意見であるし,かなり信頼できるのではないか・・・。

 引っ越しの日。アート引越センターマークの段ボールが充満するキッチンにナショナルの食洗機が到着した。シンクの端に設置されてみると,予想よりもかなりデカい。「ビックカメラでみるとね,売場のスペースが広いから食洗機もそんなに大きく見えないんだよね。でも実際キッチンに置いてみると,意外と大きいんだなこれが!」と取り付け工事に来たおじさんが言う。こんなでかいナリをしてて,全く役に立たなかったらどうしよう,という不安が募る。

 数日間,使ってみた。その感想は,買って本当によかった。すばらしく便利!

 汚れがきれいに落ちる。納豆のネバネバがまとわりついた茶碗が奇麗になる。シンクが常にすっきりとする。疲れているときにシンクにたまったギトギトに汚れた食器たちを見て,憂鬱な気分になることが全くと言っていいほどなくなった。食器洗いに関する悩みがほとんど解消されたのである。あまりの大正解にびっくりである。

 今では我が家では食洗機君は毎日フル稼働である。これで約6万円は安いと思う。忙しくて家事する暇もないという人にぜひお勧めである。特に男子の一人暮らしの部屋では絶対重宝するはずである。片付けが下手で,部屋にアリが湧いているような,カメラ好きの男子大学生なんかにうってつけの家電である。水道代も手洗いに比べて年間3万円ぐらい浮くらしい。食洗機はセレブのための贅沢家電ではない。時間に追われている男女労働者のための画期的なお助けマシーンと信じてやまない。

2008年8月5日火曜日

元栓付け浄水器設置不可

 引越しに伴い,元栓付け浄水器の設置を考えていた。狭いスペースでも設置でき,マンションや集合住宅でも大丈夫ということであった。しかし今日の朝方,工事を担当する業者さんがパイプスペースを下見した結果,スペースが足りず,設置不可ですという連絡が来た。折角新居では気持ちの良いお風呂が待っていると思っていたのに残念!

 仕方が無いので,カートリッジ式の風呂用浄水器(http://www.biccamera.com/bicbic/app/w?SCREEN_ID=bw011100&fnc=f&ActionType=bw011100_01&PRODUCT_ID=0010008773&BUY_PRODUCT=0010008773,2700)やシャワーヘッド(http://www.biccamera.com/bicbic/app/w?SCREEN_ID=bw011100&fnc=f&ActionType=bw011100_01&PRODUCT_ID=0010164142&BUY_PRODUCT=0010164142,9980)で対応することにしよう。

2008年8月3日日曜日

小旅行とクラフト






横須賀は観音埼に行ってきました。
先日は緑を求めて高尾山、今日は海を求めて三浦半島まで小旅行です。
京浜急行下りは途中からガラガラで、上大岡を過ぎたあたりかたは車両は貸切状態でした。

浦賀からバスに乗って観音埼へ。
前まえから気になっていた「横須賀美術館」に行きました。
後ろにには山が控え、真正面に海が広がるとても環境のよい美術館でした。
企画展では、ライオネル・ファイニンガーという近代アートの展示をやっていましたが、
キュビズムという画法で、キャンバスの中に光が差し込んでいるように、斜線と色彩で美しく描かれていて
とても印象的でした。

今日も猛暑で美術館を出て山に登ろうとしたところ、熱中症になりそうだったので中止、
また、裏道を通ろうとしたらヘビがいたので中止しました。
汗だくなので、風呂に入りたいということになり、近くの温泉施設へ。
海を見ながら入れる露天は最高!海洋深層水でお肌もつるつるに。


帰ってきて、夕飯も早く食べ終わったため自由時間にイヤリングを作ってみました。
自分で作ると、買うのの半額以下です、おまけに気にいった石も選べるので
これからちょこちょこ作ってみようかと思います。

というわけで今日は盛りだくさんの充実な一日でした。

2008年7月26日土曜日

ひ弱な体に喝!

 最近,夫婦揃って筋力トレーニングを始めた。奥方は太るために,亭主はやせるためにである。

 奥方は実に体が細い。そのためか仕事が忙しくなると,腰が痛くなったりし,疲労困憊の様子を呈する。筋肉をつけて,体を丈夫にしておけば,少しは疲労に打ち勝つ力もつくかなという目論見である。

 一方,亭主のほうは一時の激ヤセはどこへやら,夏場の食欲減退はどこへやら,腹回りに浮き輪のような脂肪がつき始めた。うつ病に対抗するためにしっかりと食事を取ろう心がけていたのだが,例によって過剰に食べ過ぎたのである。ヤセ時代に買ったズボンがだんだんと窮屈になりつつあり,このままでは服の総買い替えをしなければならない恐れも出てきた。筋肉を増やし,代謝を良くすべく筋力トレーニングを始めた。

 スポーツクラブにはヨガ狂もいればエアロビ狂もいる。もちろん筋トレ狂もいて,黙々とトレーニングに打ち込んでおられる。先輩方の一動作ごとに盛り上がる筋肉がまぶしい。我々のような素人オーラ丸出し人間にはなかなか近づきがたい雰囲気である。

 トレーニングは二人で交替でマシンを使うことにする。奥方は今まで筋力トレーニングの経験は皆無である。骨と皮の間にちょびっとついている筋肉が,いきなりトレーニングに借り出されて,悲鳴を上げているようで痛々しい。

 腕,肩,胸など上半身を鍛えるマシンのみならず,足をトレーニングする機械もある。一通り筋トレコーナーを回ってみた。奥方はどちらかというと,運動面でのなにくそコンチクショーというガッツとは無縁のほわわんとした性格なので,そんなにムキになってやったわけではない。しかし翌日には全身筋肉痛となった。

 しかし,奥方も少しは体を鍛えなければならないと思っていたらしく,また筋トレマシーンが案外面白かったようで,継続して続けたいようだった。仕事面でも筋肉をつけて元気を出してもらうだけでなく,嫌な上司にはヘッドロックをかますぐらい強くなって欲しいものである。

2008年7月23日水曜日

うつ病のイメージ

 奥方の同僚の弟さんが亡くなった。以前からうつ病を患っておられて,治療がなかなかスムーズに進まないという中での突然の訃報で,おそらく自殺ではないかと思われる。自分も同僚の方からうつ病への対処法について相談を受け,弟がうつ病になった体験をもとに自分なりの考えを話したことがあり,気がかりになっていた。

 何年か前にも,ゼミで一緒だった女の子が,うつ病にかかり自殺した。その時はめったに無いことだと思っていたが,身内でうつ病患者が出,さらには自分がうつ病にかかり,この病気の身近さと恐ろしさを体感することになった。それでまた自殺が起きた。

 自分の病気は大分回復しているのを実感しているが,奥方は今回のことがあって,旦那が自殺にまでいたる可能性のある病気に罹っていることを実感に,怖くなったようである。

 うつ病は,なかなか治らないというイメージが広くある。実際,前の職場でも「うつ病はなかなか治らない」と発言していた人もいたし,現に長期にわたって患っている人も少なからずいるだろう。だが多くの人がうつ病から回復してもいる。医者がいうように,休養と服薬を続ければ,大半は治ると思う。

 うつ病を治すためには,周囲のサポートも重要であると思う。しかし,それを妨げるのがうつ病の持つ一般的なイメージである。

 うつ病は多くの人に「気持ち」の問題であると捉えられているようである。中には気合でうつ病は治るという人もいる。しかし,それは大きな間違いである。うつ病は「脳の病気」である。「心の病」ではない。脳の病気が脳を鼓舞したり,酷使したりすることで治るはずが無い。

 またうつ病を「心の風邪」とする例えがある。これも大いに誤解を生みやすい。なんだか,少し寝ていれば簡単に治ってしまう病気みたいに思われてしまう表現だ。とある本のタイトルにあったが,うつ病は「心の骨折」という例えがより正しいと思う。厳密には「脳の骨折」と言ったほうが良いかも知れないが。このイメージだと,無理せずゆっくり休ませたほうがよい,という考えを持ちやすいだろう。ギブスを外していきなり激しい運動が出来ないのと同じように,うつ病を克服した人もいきなり全力で仕事に打ち込めるわけではない。

 うつ病を「脳の病気」,「脳の骨折」という表現が,科学的に正しいものであるかどうかは専門家でない自分には分からない。しかし,このように考えることで,「心の問題」という表現では見えてこない,うつ病の一面が見れるのではないかと思う。

2008年7月21日月曜日

高尾山


7/21海の日。
高尾山に行ってきました。
早起きして自然の中でマイナスイオンをたっぷり吸って気持ちよかったです。
排ガスまみれの都会から離れて気持ちもリフレッシュしました。
普段と違うことをするとストレス発散になるし、体を動かすことはとても気持ちいいものです。
山頂まで着くころには汗だく、写真の直人さんは雨に打たれたような汗をかいてました。
下山は行きと違うコースを選択したところ、結構ハードな道で、崖のようなところを歩いたり
ちょっとスリリングでした。
また山に行きたいです。

2008年7月9日水曜日

中華鍋


 先週から奥方のお母さんが,家事の手伝いに我が家に来てくれることになった。奥方の仕事が多忙で帰りも遅く,夫は鬱病で無理が出来ないということで,お母さんの手を借りることにしたのである。お願いしたところ,快く引き受けていただいて,毎週水曜日に,炊事,洗濯などに来てもらえることになった。

 今日は奥方が先に帰宅していた。朝,寝ぼけている奥方に「もう昨日で仕事はやめたんだから,もうちょっと寝てていいよ」と冗談で声をかけて仕事にでたら,夢の中で現実と勘違いし,11時出社したそうである。今日のメニューは鯖の塩焼きと厚揚げの酢豚風。奥方は美味しそうに食べていた。ふとシンクの方を見ると,見慣れない白い皿が4枚食器水切りカゴに入っている。「あれ?これはどうしたの?」「お母さんが家から持ってきてくれたみたい。前にヤマザキパンの懸賞で当たったもの」と言う。

「中華鍋も買ってくれたみたいよ。」見ると,「赤坂離宮」という高級中華料理店の譚さんという料理人のモデルの中華鍋である。多分凄く高いものだろう。先週来ていただいたときも小さな鍋を買ってもらっており,我が家の調理器具はかなり充実のラインナップである。とてもうれしいが,こんな良いものを頂いて大変恐縮です。ありがとうございました。

 問題は我が家の収納で,シンク周りの収納は殆ど満杯である。物が多いのには慣れている奥方の収納テクニックに期待したい。

2008年7月4日金曜日

草野球魂


 7月12日の土曜日に,会社の野球部の練習試合がある。昨年大会に出場したときはランニングシューズでキャッチャーをやったら滑ってふんばりがきかずに,つらい思いをした。そのため今シーズンはきちんとスパイクを履いてやろうと思い,有給を取った本日,恵比寿の野球用品専門店に買いに行くことにした。

 こじんまりとした店内に入ると,奥のカウンターにおじさんとお兄さんが二人。「いらっしゃいませ」ともなんとも言わない。職人気質の気難しいオヤジなのだろうか。恐る恐るカウンター近くのスパイクコーナーに行く。自分が中学野球をやっていた頃に比べると,スパイクも随分変化したように思う。くるぶしの辺りまで覆うようなものが多く,スパイクの金具も複雑化している。

 感心しているとお兄さんが話しかけてくれた。予想と異なり気さくな雰囲気。P革をつけてもらっていると,店のオヤジさんも話しかけてきて,久しぶりに野球をやることになったので,道具をそろえにきたという話をする。「今日は休みなの?」「そうです」「じゃあ三連休だ。いいねぇ。こういう商売をやっていると土日はなかなか休みが取れなくてねぇ。でも野球は楽しくていいよ。」

 ついでにグラブも選ぶ。ローリングスの井口モデルが気に入ったが,ふと棚の端のほうを見ると,中学時代に使用していた「久保田スラッガー」のグラブがある。はめてみると他のメーカーのグラブよりやわらかくて使いやすい。これに決める。

 オヤジさんが「どうして大田区から恵比寿のこの店に来たの?」と訊く。「インターネットで調べてきたんですよ。近くに野球用品を売っている店が見当たらなくて」というと,すごい時代になったもんだという顔をしていた。

 グラブとスパイクをいっぺんに買って売り上げに貢献したせいか,「ありがとうございました」とオヤジさんとお兄さんに丁重に頭を下げられながら,店を出た。

2008年6月28日土曜日

あつた蓬莱軒のひつまぶし


 名古屋出張。「ひつまぶし」で有名な「あつた蓬莱軒」へ行く。熱田神宮の周辺には蓬莱軒の「神宮前店」と「本店」があるが,先日柳川で本吉屋の鰻を食べに行った際,母親が異様に「本店」に執着しているのを思い出し,「本店」に行くことにする。 

 12時に店に着いたら,大勢の人たちが門のあたりにいた。受付係の男性に「今からですと1時半ぐらいになりますけどよろしいですか?」と言われ,待ち時間に熱田神宮参拝をする。 

 熱田神宮でもらった案内の紙には,「境内は,昔から雲見山・蓬莱島の名で知られ」という記述があり,「あつた蓬莱軒」の名前もそこに由来するに違いない。「蓬莱」とは広辞苑の説明を引くと「三神山の一。中国の伝説で,東海中にあって仙人が住み,不老不死の地とされる霊山。蓬莱山。蓬莱島。よもぎがしま」であるそうである。熱田の地がなぜ蓬莱に擬せられたかという問題には,熱田神宮の杜が蓬莱山を彷彿とさせるからという説明もあるが,おそらくそれだけではないだろうと思い,文献など漁ってみようかと思う。 

 1時半でもまだ店の前には大勢の人だかり。ほとんどの客が家族づれ,友達づれであり,1人で来ているのは自分ぐらいなものだった。仲居のおばさんが「お待たせして申し訳ありませんでした。今日はどちらからいらっしゃいました?」と聞くので,「東京です。うちの奥さんが以前こちらでひつまぶしを食べておいしかったと得意気に言うので,僕も出張のついでに来てみました」「そうですか。うちのお客様はほとんどが県外からですよ」 

 ひつまぶしは時代のついたおひつに入っていて,お茶碗4杯分。鰻はカリッと焼かれているせいか,量の割には腹にもたれず,食べやすい。会計で2780円也を支払い,仕事へと出かけた。

2008年6月9日月曜日

金曜日

金曜日はいいことがあった☆
自分は外出先からの直帰で、家長と品川で合流。
そのまま帰って家の近くで外食と思いきや、なんと家長がお店を予約してくれていた!
びっくり&嬉しい気分で、行き着いたのは泉岳寺のベトナム料理屋さん。
場所は渋いところにあるが、大変美味であった。
疲れた身体にベトナム料理はヘルシーで優しい味がした。
家長の優しさに感謝。

帰り道は泉岳寺に纏わる赤穂浪士の話。
単語しかしらない自分に家長からの講義。
翌日朝、早速復習テストがあった!?
たじたじになりながらも、一応合格点をもらった(笑)

2008年6月4日水曜日

牛すじ煮込み

シャトルシェフにて牛すじ煮込みを作る。牛すじを料理するのは初めてだが,なかなか切りにくくて難儀した。大根とこんにゃくと一緒に煮る。翌朝には出来上がっているだろう。疲れて帰ってきた奥方には豚鍋を出す。

2008年6月3日火曜日

切干大根の煮物

 切り干し大根と厚揚げの煮物をシャトルシェフで作る。シャトルシェフで煮ると煮崩れしない上に,よく味がしみこむので美味しく出来る。疲れて帰ってきた奥方には鳥鍋を出す。

2008年6月2日月曜日

夜鍋

 夜に簡単な鍋を作ってみる。夜帰ってきて冷たいあまりものだと食欲が湧かないからだ。豚肉,ねぎ,春菊,えのきを切って入れるだけ。これなら疲れていてもできそうである。11時近くに帰ってきた奥方にも作ったら,美味しそうに食べていた。

2008年6月1日日曜日

おもてなし

 奥方の友人が13時に来るために,洗濯,掃除,料理をやる。ビーフシチュー,ハムサラダ,ラタトゥユ,ミートソーススパゲティなど。ホームベーカリーでフランスパンを作ってみたが,通常の食パンとあまり変らなかった。

2008年5月31日土曜日

ローン事前審査

 熊本出張より帰る。羽田空港のフレッシュネスバーガーにて,奥方と昼食をとる。

 マンション会社より連絡あり。自分を主として出したローンの事前審査が通らなかったらしい。「奥さんを主としてもらえれば通ります」と言われたが,団体信用生命保険に入るのはやはり自分の方が良い。奥方が団信に加入して,自分が民間の生命保険に入った場合,住宅ローン分の金額をカバーする商品だと,月々の掛け金も万単位となるだろう。

 このため,もう一行自分を主として出してみて,もし通らなかったら今回は見合わせようかという話になった。

2008年5月30日金曜日

熊本出張

 午前中に美容室に行って髪を切る。いつもは馬鹿話で盛り上がるが,風邪で鼻水が出,少々熱っぽかったので,あまり話せず。空港で飛行機を待つ間,だんだんと寒気がひどくなってくる。飛行機の中ではずっと眠っていた。

 仕事になると,緊張のためか体の不調は感じなかった。終了後製薬会社の人たちと打ち上げに行く。馬のあばら骨あたりについている肉?を炒めたやつや馬ホルモンなどは非常に美味。酒は飲まなかったが,周りの人々は赤霧島や宝山紅東なんかを飲んでずいぶん楽しそうだった。http://www1.ocn.ne.jp/~akatuka/gentei_imo/goods600beniazuma.html

2008年5月29日木曜日

風邪ぎみ

 朝,喉が痛かった。そのまま仕事をしていたら,鼻水がひどくなった。早めに寝た。 

奥方はローンのプラン変更に行ってくれた。ローンを組んでみると,宝くじを買ってみようかという気分になる。

2008年5月28日水曜日

東京ドーム


 前の会社のおじさんより連絡があって,「今日の東京ドームの楽天ー巨人戦を見に行かないか」と言われる。おじさんには久しく会ってないこともあり,また東京ドームで野球観戦などめったに無いことなので,行くことにする。

 巨人の先発は内海。テレビで見ると細いように見えるが,実際は太ももの当たりが堂々としている。実に安定したピッチング。楽天打線策なし。対する巨人打線は重量級。金に物を言わせてつれてきた面々だが,貫禄ある打者ばかり。みな打ちそうな雰囲気ムンムン。3回裏,小笠原,ラミレスが出塁のあと,阿部がライナーでホームラン。やっぱりプロのバッティングフォームはキレがある。ラミレスも後で特大ファールを打った。クルーンが出てこないかと楽しみにしていたが,内海が余裕の完投勝利。

 その後,九段の斑鳩(いかるが)というラーメン屋に行った。http://emen.jp/index.asp?sid=ikaruga&kind=1&skip=昼間はすごい行列でなかなか食べれないのだそうだ。夜の9時でも,結構並んでいた。味は美味しかったがあんまりインパクトはなかった。

2008年5月27日火曜日

通勤用のバッグを買う

 仕事の後,銀座マロニエゲートの東急ハンズにバッグを買いに行く。今までのヤツでは出張の時など容量が限界であるからだ。サンディエゴ出張の際に,パソコンとカメラをスーツケースの中に入れたら怒られたので,機内にもある程度の荷物を持ち込めるよう,大きいものを選んだ。またキャリーバックにセットアップできるものにした。

 インターネットであたりをつけていた,マンハッタンパッセージというメーカーの♯7003という野を買った。これなら国内出張でもこのバッグの中に着替えを詰めていけそうである。底が広いので,弁当や水筒も入る。これを機に,弁当作りに精を出そうかと思う。

2008年5月26日月曜日

またローン問題

 満員電車を久々に体感する。ケーキに群がるありの群集のような人間はどっから沸いてくるのだろうかと不思議な気分になる。

 午前中は頭がボーっとしてなかなか仕事に集中できず。新居のための空気清浄機や浄水器について調べる。空気清浄機はダイキンや三菱のものが良いようだ。http://www.daikinaircon.com/ca/index.html http://www.mitsubishielectric.co.jp/home/airclean/ 水については元付けの浄水器を検討している。レンタル方式で月額3880円である。http://www.aquas5.com/

 奥方は今日も帰りが遅く,23時ぐらいであった。にもかかわらず,ローンについての本を買ってきて勉強していた。

2008年5月25日日曜日

ローンで悩む

 帰国の翌日でもゆっくりしておられず,マンション問題に取り組む。今日は契約している物件のローンの相談の日。キャンセルするとすれば今日までがデッドラインである。

 しかし,他に有力な候補があるわけではない。東京都内で利便性が良く,価格も手ごろな物件はそう多く見つかるものではない無い。押さえてある物件は多くの条件を満たしてはいるが幹線道路沿いで空気が悪いと予想される点が最大の問題点。11階で排ガスの影響を直接受けることは無いものの,それでも空気が悪いことは否めない。

 きれいな空気を求めて茅ヶ崎や藤沢に行くことも考えたが,毎日の通勤にかかる負荷を考えると都内でという結論になった。結局契約している物件に決めた。

 ローンを組む上でのポイントは「フラット35」などの固定金利にするか変動金利にするかという点。現在の金利は2.8パーセント前後だが,住宅ローンの場合1.4パーセントの優遇金利が全支払い期間に渡って受けられるため,金利は約1.4パーセントとなる。フラットの金利は約3パーセントなので,変動金利よりも随分と高い。

 今後金利上昇が予想されているものの,優遇金利分を上回る上昇があるのかどうかが悩む点である。フラットと変動金利を組み合わせたミックスローンというやり方もある。奥方もそれに興味を引かれているようだったが,国債発行額やサブプライム問題から,金利を引き上げるよりも税率アップという方向に行くだろうと予測し,一応変動金利で事前審査を出すことになった。

 Lマンションの事前審査の際は,うつ病治療中の人は審査に通りにくいといわれたが,今回のディベロッパーの担当者にはそれは出してみないと分からないといわれた。団信には奥方よりも自分が入ったほうがメリットも大きいということもあり,初めは正直に病名を書いて打診することとなった。後から診断書を取り寄せるケースもあるらしい。

 マンション選びで悩むことがもう無いと考えると,随分と気が楽になった。しかし今度はフラットか変動金利かというローンの組み方で悩むことになりそうだと奥方が言っていた。

2008年5月24日土曜日

大いなる陰謀

 サンフランシスコから成田へ向かう機内では映画を多く見た。最近の国際線は自分の席で映画が見れるようになっているのである。

 おもしろかったのは,ロバートレッドフォード,トム・クルーズの「大いなる陰謀」であった。http://microsites2.foxinternational.com/jp/ooinaruinbou2/アメリカの対テロ戦争にまつわる苦悩を題材とした映画。アメリカはよくこのような自己批評的な作品を作るが,それが実際の政治に反映されてはいない。それはアメリカのみならず日本でも同じだが。

 あまり大々的には報道されないものの,僕は「9/11自作自演説」を結構信じている。9/11はアルカイダの仕業ではなく,アメリカ政府の自作自演によるものという説である。http://jp.youtube.com/watch?v=3vfouhgEUY4&feature=related事実であれば衝撃的にすぎるので大手のテレビ局はあまり言えないのだろう。

 なぜこの説を信じるかという最大の点は,常識的に考えればビルはあのように崩壊しないということである。どう見ても爆破である。あとはいわゆる911事件は「対テロ戦争」を正当化する理由になっていることである。つまり911はアメリカの対外戦略によって都合がよかったということである。

 もしこの自作自演説が本当なら,僕らは「裸の王様」の登場人物だということになる。911のビルが崩壊する場面は何度も何度も繰り返し報道された。しかしあれを見て「爆破」だという当然の疑問を持った人は少数で,多くの人がアメリカ政府の発表どおり火災による温度上昇が原因と信じ切っているのである。僕らは誰かに検閲されているわけではないのに,そのような疑問を口にすることさえはばかられているのである。真実はそこに報道されているのに,誰も真実を読み取ることができないというわけである。

 「大いなる陰謀」においてもアメリカ政府とメディアの共犯性がテーマとして描かれている。政府の暴走についていさめるどころか,アメリカの対テロ政策を助長したというものである。めりる・ストリープ演じる新聞記者は言う。「事実なんてどこにもない。だれも戦争の現場にいないのだから」という。メディアは真実を報道するのではない。「真実」を作り出すのである。このことについて多く考えさせてくれる映画である。

 東京は雨だった。久々にごはんと納豆,味噌汁を食べた。あまりに久しぶりで変な感じがした。マンション問題のせいか,奥方はまた少し痩せているような気がした。
 

2008年5月23日金曜日

帰国の途へ

 長かったようで短かったサンディエゴ滞在も終わり。前回のシカゴ出張も1週間であったが,ようやく体が慣れてきて,たどたどしくも英語で会話することにも積極的になってきたときにアメリカを離れなければならないのは残念なことである。アメリカに来た当初は,ご飯もおいしくなく言葉が不自由な寂しさから,やっぱり日本がいいなと思うのだが,帰る頃にはアメリカの方が良いなと思ってしまう。

 なぜかというといろいろな要因があると思うが,いい意味でみんな自立しているように思えること。みんな自分の考えをはっきりと述べること。「身分の差」に関係なく,対等な関係でお互い接すること。もちろんアメリカに差別がないということではない。うまく言えないがいろんな人種があるまっているせいか,お互いを尊重する気質があるように思うのである。

 たとえばアメリカでは医師と製薬会社の人間の関係は僕らからみると対等であるように見える。日本では,「あ,先生どうも。」なんぞやたらに下手に出て,おいしい料理で接待したり,過剰に医師をあがめたてまつる傾向がある。製薬会社の皆さんはまるで医師のしもべであるかのようにぺこぺこしている。僕はこういう関係は嫌いだし,自分が医師であったなら相手に卑下されることを良く思わないだろう。

 日本へ向かう飛行機への搭乗口の周りには,多くの日本人が集まってくるが,日本人ばかりの空間は息苦しい感じがする。みんな同じであるがゆえに,なれ合いつつも互いにけん制しあうような関係。英語ができるできないという問題ではなく,日本人は外国人の中にいると閉鎖的だなと感じることが少なくない。

 サンディエゴからサンフランシスコへ向かう機内の中で,隣の20歳ぐらいの白人が話しかけてきた。実は行きのサンフランシスコからサンディエゴへ向かう機内の中でも,白人のおばさんが話かけてきた。日本ではあまりない光景である。賛否両論あるとは思うが,僕はこのオープンマインドさが好きである。

 イラク戦争,アフガニスタン問題。世界の警察たるアメリカの病理はメディアから伝わって来るものの,実際のアメリカ人は憎めない人々である。

2008年5月22日木曜日

ミッドウェイ

 仕事がなかったので,いわゆる観光名所を訪れてみることにする。まずは「Star of India」という古い船の展示。海に浮いてる五艘の船の中を見学することができるというもの。http://www.sdmaritime.com/index.asp その中にソヴィエトの潜水艦があった。潜水艦の中に入るのは初めてのこと。計器が植物の蔓のように張り巡らされている船内はずいぶんと狭かった。こんなところで長くい生活するのは精神的に大変だろうなと感じた。

 その次はミッドウェー博物館。横須賀に長く滞在していたアメリカ空母ミッドウェイを,退役後博物館として公開しているものである。 http://www.midway.org/site/pp.asp?c=eeIGLLOrGpF&b=3038957狭いスペースにたくさんの三段ベッドが並ぶ下士官の部屋,豪華な艦長,提督の部屋。膨大な量の食事を作る厨房。しかし音声ガイドを聞きながら回っていると,良くできた博物館という印象はもつものの,この空母がベトナム戦争や湾岸戦争でも活動したという波乱の経歴を体感することはできなかった。それは戦争という事態があまりに遠い出来事のようであるために,それを生々しくイメージすることができないからであろう。

 世界最大級の敷地面積を誇るサンディエゴズーにも行ってみたかったが,さすがに時間がなく,次回までのお預けとなった。

2008年5月21日水曜日

英語

 今日で取材は終わり。12時から2人の医師にインタビューする。1人目はがんワクチンについて,もう1人は,内視鏡検査前に胃の蠕動を抑えるために投与する薬についてである。

 プレスルームはがんがんにクーラーが効いている。シャツの上にジャケットを羽織っているが,それでも寒い。一方,白人の皆さんは半袖シャツである。太っている人が多いということもあるかも知れないが,日本では健康を害さないように,温度を高めに設定したりもするのに,えらい差だと感じた。

 昼ごはんのランチボックスは今回ははずれ。ターキーサンドウィッチがメイン。野菜抜きのハンバーガーのようなもので,チャーシューに味の似たターキーが何枚も押し込まれている。しかも大味なので,もったいないとは思いつつも,全部食べることが出来なかった。

 その後市内をぶらぶらとするが,英語が話せず,アメリカの日常文化についても理解のない身はつまらないものである。やっぱり英語をマスター出来るように勉強しようと痛切に思う。2006年にシカゴに行ったときもそう思ったのだが,いくらかは勉強したものの,全然甘かった。帰国したら会社の英会話教室に申しこもうかと思う。

2008年5月20日火曜日

飢えと過食

 昨日,夕飯に何を食べようか迷っていたら,外に買いに行くのが面倒くさくて抜いた。朝起きたらあまりに腹が減りすぎて眼が回りそうだった。学会場のプレスルームに朝一で行き,ただ飯にありつく。食べ終わった後,口の中に十分な唾液が分泌されていくのが感じられた。体も枯渇していたに相違ない。

 昼過ぎまで取材。こちらで知り合ったおばさん日本人ライターさんと近くのseaport villageまで飯を食いに行く。「いろいろお世話になったからおごりますからどんどん食べて下さい」といわれ,メニューを眺めていたらウェイトレスさんに「あんたここはサンディエゴよ!遠慮せずにガッツリ食いなさいよ!」みたいな(意味だと思う)ことを言われたので,どんどん注文する。牡蠣のシチューは美味しかった。頼みすぎで,最後のサンドウィッチは持ち帰りとなった。

2008年5月19日月曜日

ご飯が食いたい

 また快晴。今日は1件写真撮影をするだけで終了。パンばかりの生活にいい加減うんざりしてきた。ご飯に味噌汁,納豆が食いたい。

2008年5月18日日曜日

本が読めるようになってきた

 取材が始まった。とはいえ,2時間程度で終わるのでかなり楽である。学会会場のプレスルームにて昼ごはんを食べてホテルに戻る。プレスルームとは報道記者のために開放されている部屋のこと。そこにはバイキング形式の朝ごはん,昼ごはんが置いてあって,味も良い。アメリカ料理は日本人の舌にはなかなか合わないため,ここでの食事は貴重である。

 だが,今日から夕食は1人。何を食べようか本当に迷う。結局スーパーでりんごジュースと鮭どんぶりみたいなヤツを買ってホテルで食べる。鮭はまあまあの味であったが,脂っこいご飯はいただけなかった。

 時間があるときは部屋で本を読むようにしている。うつ病の発病以来,読書は控えてきたのだが,今回のアメリカ出張を機に再開した。以前は少し読んだだけでも頭が疲れていたが,今は全く大丈夫である。かなり回復してきた感触がある。

 アメリカでも,マンション購入の件につき,奥方とメールのやり取りをする。今押さえている物件のキャンセル期限が迫っているので,早めに決断を下さなければならない。奥方も遅くまで仕事をしているようで,心配である。

2008年5月17日土曜日

サンディエゴは美人が多い

 サンディエゴには美人が多いと思う。以前シカゴに行ったときは,普通のアメリカ人には美人の女性は居ないものだと確信していた。ハリウッド女優のような顔は特別なんだと思っていた。しかし,サンディエゴは映画に出てきそうな女性を頻繁に見かける。

 もちろん,アメリカであるが故,ブクブクのおじさんおばさんも多い。シャツの上から脂肪が波打っているのが分かるくらいである。この域に達した人は,現代日本でもまだ少ない。

 サンディエゴには,貧しい人々も多い。気候がよく冬でもあまり寒くならない所為か,ホームレスの数が多い。繁華街を歩いていると,募金のためのコップを持った人によく声をかけられる。

 夕食は同僚やライターさん,それに顧問のドクターらで,和食の店に行く。サンディエゴで水揚げされた海産物を使った刺身,寿司はアメリカにしては結構美味しい。サンディエゴ産のウニはとても新鮮であったが,小あじがないのが残念である。板前さんも日本人である。ウェイトレスさんも日本人でほっとする空間であった。

 顧問のドクターは最近教授に昇格したばかり。おめでとうの言葉にも「教授には臨床教授と主任教授が会って,黒を白に変えられる権力を持ってるのが主任教授。僕は臨床教授だから何も権力ないよ」と御謙遜。「人のことを考えるいい人は教授にはなれない」などと話していた。

2008年5月16日金曜日

何とかサンディエゴに到着

 二度目のアメリカ。バスで成田へ向かう。登場口にて上司と落ち合う。パソコンとデジタルカメラをスーツケースの中に入れて預けたと言ったら,「取られるよ。そんなの常識だよ」と言われてしまう。「世の中そんな盗人だらけじゃあるまいし,気にしすぎだよ」と少々むっとするが,冷静に考えてみると外国人の空港職員とかはバッグのものを盗むなんて結構あるのかも,などと考えて,サンフランシスコへ向かう機内で気が気でなくなる。

 サンフランシスコ空港でパソコンとデジカメをスーツケースから取り出し,一安心。昼ご飯はフードコートのようなところで。すしを売っているところがあった。店名は「友和」。何で?三浦友和の影響?そこにはおーいお茶なんかも売っており,日本人らしい人もいて少々心強く思ったが,話しかけてみると中国人であった。アボガドだらけのすしの味は,予想に反してまあまあ美味しかった。

 入国審査ではやや無愛想な審査官に当たる。アメリカ人は物の扱い方が乱暴だ。オイオイ,人のパスポートや書類を投げて置くな。

 サンフランシスコからユナイテッド便で,サンディエゴへ。機内で隣のおばさんが話しかけてきたが,最近やっている「えいご漬け」の所為か,何とか聞き取れる。

 夜は上司とライターさんと共にレストランで食事。サンディエゴは海沿いであるだけに海産物は美味しいらしいが,なるほどアメリカ料理にしては変な味付けもなくvery goodであった。

2008年5月15日木曜日

笑ってごまかせ大作戦

 翌日からの海外出張の準備に追われる。今日中に片づけておかなければならない仕事が山積で,11時過ぎに会社を出る。

 奥方は横浜の物件のローン申請のために出した資料を受け取りに,Lマンションのモデルルームに行ってくれた。新子安の物件を猛烈な勢いで勧められたそうだが,奥方は得意の笑ってごまかせ作戦でけむに巻いたそうである。

 帰りの電車の中で,ある男女の話が聞こえてくる。「風邪がひどくなった」「早く寝なきゃだめだよ。葛根湯はいいよ。それをユンケルと一緒に飲むの。これで一発で治るわよ」。今度風邪をひいたら実験してみたいと思う。

2008年5月14日水曜日

佐渡先生最後の診察

午前中に大阪より戻る。新大阪のスーパーホテルは朝食がまずかった。

 7時半より精神科へ。「波はありますけど大分好調ですね」と言われる。今まで診てくれた佐渡先生は今月いっぱいでこの病院での勤務は終わりである。「いろいろありがとうございました」と礼を述べる。いい先生だっただけに担当医が替わるのは残念だ。

 夜は奥方とマンションの話。奥方はいろいろ考えているようだ。会社の人に何年後かに不動産バブルがはじけるとか言われたらしく動揺している様子。都心の高級マンションはそうかもしれないけど,梅屋敷の庶民派マンションはどうなんだろうねぇ。

2008年5月13日火曜日

雨の大阪出張

 昼頃より大阪へ出張。入社2日目の女の子を伴っていく。大阪も雨。リッツカールトン大阪にぬれながら着く。ホテルの中は,今まで見たことがないようなゴージャスな内装。

 仕事は無事終了。クライアントの方に女の子が入社二日目だと言ったら,びっくりしていた。打ち上げは焼き鳥屋にて。「製薬企業がプロモーションをするときは,利益だけ考えるのではいけない。患者の命がかかっているから。でも某T社は設けるためには,データを不正に加工している。絶対に許せない」などの話が出る。

 またクライアントの男性が「後10年して,息子が20歳になったら女房と離婚することになっている。でも息子はかわいいんだ」などと言っていた。夫婦にはいろんな事例があるもんだと思った。

 予約した新大阪のホテルは,禁煙ルームを予約したつもりが,喫煙ルームになっていた。やはりヤニ臭い。もう間違えたくないもんだと思った。

2008年5月12日月曜日

またどんでん返し

 昨日でマンション問題は決着したかと思われたが,本日また気持ちがぐらつく。会社の先輩に「マンション買うんだって?」と声をかけられ,「俺も髪が全部白髪になるかと思ったくらい悩んだよ」といわれる。奥方の誘いで物件を見に行ったところ,愕然とする。林立するタワーマンション,人気のないコンクリート地帯。いくら建物がよく資産性があるといわれてもここでは生活していけないと思った。奥方も同意見で,結局前に予約していたマンションに戻そうという意見になった。

2008年5月11日日曜日

母の日にどんでん返し

 母の日。奥方のお母さんと横浜インターコンチネンタルホテルの「なだ万」のお昼に行く。慣れない懐石を食す。大変美味。器もユニークで,それについて話していたら,仲居さんから「うちの店長の自作です」と言う。いい雰囲気で食事が出来,お母さんにも満足してもらったようである。
 
 クィーンズスクエアでお母さんと別れた後,横浜駅まで奥方と歩いて行こうということになった。開発の進んでいる新興の地域。フリーマーケットなどをぶらぶらと眺める。興味は随分とそそられるが,購入には至らず。

 新高島の駅前まで来たところ,マンションギャラリーを発見して,入ってみる。入ってみたはいいもののなんだか高そうな雰囲気でやや臆してしまう。物件は伊勢崎町と横浜駅近くのポートサイドにあるらしい。「どちらが御希望ですか?」と訊かれて,「伊勢崎町」と言うと,「新婚さんですとポートサイドのほうがよろしいかと思いますが」と言われる。それもそのはず,「伊勢崎町」の物件は悪名高き「黄金町」にある。

 営業さんより物件の説明を聞いて,耐久性,安全性が高く,長く使えるマンションという印象を受けた。手付金を払ったマンションからすれば大分高額だが,将来の資産性と利便性を考えて,ポートサイドの物件に決めた。手付金を払ったマンションの担当に電話して,解約の旨を伝える。こんどのマンションは契約金が100万。大きな決断で,奥方ともども神経が高ぶったが,いい決断だったという感触は確かにある。

2008年5月10日土曜日

しゃべれどもしゃべれども

 歯石を取りに近所の歯医者さんに行った。歯石除去が終わった後,医者に「上の親知らずが虫歯になりかけていますから,抜いたほうがいいですね」と言われてショックを受ける。親知らずを抜いた人で腫れなかった人を知らないからだ。「親知らず,黒くなってるんですか?」と聞いたら,「見せますね」と言われて,口腔用のデジカメみたいなもので撮影してくれた。モニタでみると確かに一部が黒くなっていた。「歯が原形をとどめているうちに抜いたほうが良い」とのこと。仕事が落ち着いたら抜こうと思う。でも痛そう!

 蒲田駅近くのマンションのモデルルームに奥方と行く。ローンの組み方などについて,営業さんからいろいろと教えてもらう。

 「しゃべれどもしゃべれども」という,落語を題材にした映画を奥方とDVDで鑑賞。偶然だと思うが,先日梅屋敷寄席で歌丸さんがやっていた「火炎太鼓」が大きく取り上げられていた。映画自体は国分太一さんをはじめとする俳優の演技が上手で,まあまあ楽しめたが,クライマックスの国分と香里奈がくっつくシーンのありえない展開には,奥方とともに爆笑してしまった。
 見終わった後,5代目志ん生の「火炎太鼓」のCDを奥方に聞かせたところ,最後まで楽しんでいたようだ。落語の面白さが分かったようで,また見に行きたいと言っていた。

2008年5月9日金曜日

マンション購入の前に

 16日からの海外出張に向けていろいろと準備をする。奥方がマンション購入のポイントについて,職場の同僚に教えてもらったそうだ。しかしその方は大田区は山王の高級マンションで,8000万円ぐらいする部屋を買ったそうだ。モデルルームをたくさん見て検討を重ねた方がよいとのことだそうだが,8000万の予算があれば検討の余地もずいぶんと多いと思われます。。。。

2008年5月8日木曜日

梅屋敷寄席に歌丸さん来る

 梅屋敷商店街の大林寺へ,奥方と寄席を見に行く。商店街活性化のために,年に1~2回開かれている寄席だが,今回は10回目のすべき回ということで,桂歌丸さんが呼ばれていた。(http://e-umeyashiki.com/yose06.html →僕らも写真に写ってます) 
 歌丸さんのチケットは,なかなか手に入りづらい。発売されてからすぐに売り切れてしまうのが普通だ。今回の寄席のチケットも完売で,お寺の本堂は満員。客層はやはり高齢の方が大半で,30歳の僕らは浮いている。初めに登場した桂花丸さんは,怪談をモチーフにした『皿屋敷』,三笑亭夢太郎さんは『たがや』をやった。歌丸さんは『火炎太鼓』。5代目古今亭志ん生が得意とした話である。僕はCDで志ん生の『火炎太鼓』を何十回と聴いていて,その巧みな話芸に感心していた。志ん生のカラーが染み付いた『火炎太鼓』をやるのはなかなか勇気がいるだろうなと思いながら,どちらかと言うと三遊亭円生に似たタイプだと思う歌丸さんの話を聞いていた。演出の仕方はやはり志ん生のものとほとんど同じで,だが志ん生しか出来ない語り口の部分は,歌丸さんオリジナルの演出だった。 
 しかし,当の歌丸さんにとっては自分のオリジナリティなどどうでもいいことなのかも知れない。その話しぶりには派手なところはなかったが,話の進め方は実に慎重で丁寧だった。 
 ところで奥方はといえば初生落語に随分と満足したようであった。日頃落語のCDを進めても全く聴いてくれないのだが,身振り手振りが付くと分かりやすかったらしく,おばさんたちに負けじと大笑いしていた。